松つあん追想
2020-05-27


今年も、もうすぐ、松つあんの命日が巡る。

「性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く・・・」

松つあんには確かに狷介なところもあった。自分のやる仕事に対して矜恃を持ち、それを理解しない人を遠ざける傾向も。

さんちゃんが低姿勢で教えを請うのだが・・・
「あの〜燃調なんですがーー」
「キャブなんてもんはね、アンポンタン」
・・・の一言で終わり、とか。
禺画像]

 しかし才能と資質が秀でているから喰うには困らず、仕事は引きも切らさず、好きな仕事を1日2時間くらいして、あとは終日を高周波系電子回路等々の実験と研究に没頭する自由気儘な日々を過ごしていた。自宅の「松つあんラボ」は孤塁とも言え、後年は誰にも雇われず、誰も雇わず、その点では小職と生活基盤が共通するところがあったから、理解しあえたのかも知れない。

もっとも、完全フリーランスでも余裕で稼げる、喰っていけるという境遇は、自ずから嫌なこと(特にフィジカル的に)ツラいことは一切やらない、自分の時間を楽しいこと、ラクなことで埋め尽くそうとする・・・という生活習慣バイアスが強烈にかかるのは必至であり、それが彼の寿命を縮めたという解釈も可能である。やはり、全てのモノゴトには表裏がある。

とまれ、ポンコツの機体を手に入れて自分でレストアして自分で操縦して飛ぶのだ、という夢が自分にはあって、その夢の半分をかなえてくれたのは松つあんに他ならない。その場にいた数人の整備士さん達が「ぶっとぶ」ような低廉な売買金額を小職に提示したときの、松つあんの表情を今も想い出す。

松つあんの、そして小職のSF25B JA20GM。
禺画像]

JA20GMの「OGM」は、ゼロゴルフマイク、ではなく「オージーエム=大利根グライダー無線」、つまり松つあんの仕事の屋号略号である。グライダーと無線、というテーマの世界。

しかして、どうも、持て余していたポンコツ機体を処分するやっかい払いのキモチもあったはず、と三田師匠は言うし、この機体を浅尾さんがレストアして飛ばすなら、労せずしていろいろな実験ができて楽しめる、という魂胆もあったようだ。

それから約10年。松つあんがJA20GMで、なにやかや実験をして、一緒に飛んでいた日々。もともとは動力滑空機の操縦教官でもあった松つあんだが、この頃になると操縦桿には一切、手を触れようともしなかった。
禺画像]

自作マッチングボックスをAA230アナライザで測定する松つあん。BR210はどうしたの?と聞いたら「ん。あれはね、クルマの屋根に乗っけたまま走り出して落っこちて壊れたの」だって。そそっかしい松つあん。
禺画像]

27MHzの漁業用DSB無線機のようだ・・・
禺画像]

続きを読む

[HANGAR W3 and 25B(+C2)]
[心に移りゆくよしなしごと]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット