全部同じことを言ってるのではないか?
2019-04-15


59歳になりました。関係各方面より、お祝いのお言葉をいただき、感謝に堪えません。誠にありがとうございます。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

サテ還暦も近くなりますと、これはもうヘタを打てばあと数年でこの世とオサラバ、ということも想定内とせねばなりません。小職の周囲でも60歳前後で実際にそのようなことになった例や、それにつながる重篤な病に罹患した例が散見されます。

そうなると、この先をどういうビジョンで生きるか、というテーマがかなり切実になって来ます。

自分の人生にはもうこれは要らないな、という思うモノ/関係をバッサリ切り捨てて、持てるパフォーマンスを絞りきった対象に集中し、その成果取得の最大化を図る、そのプロセスをさらに先鋭化して実践していく・・・という方向性になろうかと思うわけであります。

残りの人生の短さを想うとき、やっておかねばナラン、ということはいくつか、まだ残っております。
 「まだ時間があるからいいだろ」と放置しておいたビートルズの楽曲のピアノ弾き語りもそのひとつ。なので練習開始しました。ネットのいたるところにコード進行の譜面がありますもんで。はずせない曲は「The Long & Winding Road 」と「Yesterday」そして「Let it be」。

とりわけLet it beは、この年になって始めて理解できる深さがある。
「なすがままに」「あるがままに」とか訳されますが、違うなあ、と。

あらゆる「くびき」から開放されたとき、自然とその方向へ向かうところの、自分の中にあるものを大切にせよ・・・
というニュアンス。

なぜこんなふうに感じたのかというと、朝日新聞。
これはもうホントにどうしようもない新聞で、マスコミはみんなそうだけど、何も「解決」できないくせに、あるいは解決手段の提示もできないくせに、意見や評価や指摘や非難や批判だけはする。世の中の学者連中も大抵はそうですが。

「言う書く」は、「アタマの中に想起する→言う書く」で終わり、つまり自己完結ですが、「問題を解決する」ということは「実際に自分の外の世界との関わりをもって、その関係性の中で」、何年も、時に何十年も、「実践」をしていくプロセスであるわけなのです。ベンゴシさんは「解決」しないと、明日の米を買うカネも、もらえんのです。「言う書く」だけの連中とは違います。

ハナシが逸れました。
朝日新聞の「(語る 人生の贈りもの)姜尚中:15 いまようやく、自由になった」の中で、姜尚中さんは「自由という言葉は、おのずからゆえをもって、と読めます」と述べています。この言葉がココロに刺さりました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190329-00000012-asahik-ent

いわゆる朝日バイアスがかかっている「意見や評価や指摘や非難や批判」
は、何の解決にもナランので全部読み飛ばします。しかしながら時としてこういう部外者のコメントが珠玉のように掲載されるので、この新聞の購読を辞められません。姜尚中さんは息子さんを自死で亡くされて、大変に悲しい思いをされた方なのですが、その言葉には小職のココロに刺さるものが多々あり、私はフアンです。


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[心に移りゆくよしなしごと]

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